二〇二〇年、新型コロナウイルスの発生源とされた中国武漢は封鎖されましたが、またたく間に世界に蔓延し多くの都市が封鎖されました。
わが国でも東京をはじめ七都道府県が緊急事態に置かれ、生活を維持する店舗企業を除いて、自粛という規制がかけられて在宅生活を余儀なくされました。海外との往来も止まり、鎖国状態となったのです。緊急事態解除の目安は示されたものの、感染患者は増減をくり返し、終息する日が何月何日になるのか知るよしもなく、日常をとりもどせる確実な日にちを望むことが出来ない状態で、ただ、見えぬウイルスに怯えるばかりです。
有史以来、目に見えぬウイルス(疫病)の猛威は国民の存続さえ危うくしました。天平時代は聖武天皇の発願による東大寺の大仏を造営して国の安泰を祈りました。また、平安時代、清和天皇の御代には祇園祭りによって疫病危機の厄払いがなされました。
日本中が貧しかったころ「もういくつ寝るとお正月」という、誰もが待ち望むハレの日がありました。今回の新型コロナウイルスの災いは、ハレの日にちを期待し、その日を数えることができないのです。
食糧を確保することが生きることの最大の目標であった時代、多くの地域で祖先は食糧を持続して収穫できる農耕を選びました。いつ頃種をまき、収穫するかをあらかじめ知ることが不可欠で、とりわけ水稲耕作には耕す以外に、水の管理、刈り取った後の作業など、まさに一年がかりの管理労働が必要でした。
年という漢字はイネが実るという意味で、イネが実る周期を表す「とし」の意味に使われるようになりました。生活のリズムは、七日一週間のサイクルで回すことが多いのですが、何月何日何曜日を毎朝刻むことで、日読(かよ)みが暦(こよみ)の成立につながったのです。
はるか昔の祖先は日で時を知り、月の満ちかけで日にちを数えた。月は、ほぼ七日ごとに明確な形に変わるから。月の現れない夜、七日目には夜中西の空に沈むとき、下半分が輝くので弦を上にした弓の形、上弦の月となる。ほぼ十五日目には真ん丸な望月となる。 望月までは日没に見ることができるが、次の月、十六夜の月は日没よりも四、五十分遅く東から昇り、逆に日の出に見ることができる。十六日目の月は日の出前には西に沈もうとしている。二十二日の月は日の出には南の空に左半分が白く光り、弦はほぼ垂直である。
陽が昇ると、月の姿はとらえにくいが、縦の弦は九十度回転して、下に向き、下弦の月と呼ばれる。そしてまた月のない夜となり、約二十九・五日で一巡する。この巡りを一か月とし、十二か月を一年とした。実際、地球上のどの地域でも、月で日にちを数える「太陰暦」からはじまったと言われる。二日を「ふつか」というように、日を数えることを「日読み(かよみ)」といい、転じて暦になった。
古代ローマでは月を見張る番人がいて、初めての月を見つけると大声で叫び、新しい月が始まったこと知らせた。この大声で叫ぶことを「カレンデ」といい、月の一日目は叫ぶことから、「カレンデ」と呼ばれ、やがて「カレンダー」という言葉になった。
日本でも月の現れた日が、月の一日目で、それを「ついたち」という。日没時、西の空に「月が立つ」の転訛である。月は夜ごとに西から南、やがて東の空で望月となる旅立ちをすることを示した言葉であった。
ところがその後、古代中国から移入した暦は月の現れない日が月の一日目であった。初めて月が立つ日は二日。それでも、日本では、月の最初の日を、「ついたち」と呼んでいる。近年は使われないが、月末の日を「晦(つごもり)」と言っていた。月隠り(つきごもり)の音変化で月が隠れて見えない日で、もとは「みそか(三十日)」を指した。今も一年の最後の日は「大晦日(おおみそか)」と呼ばれる。縄文時代末から弥生時代の言葉が、今も使われているのだ。
潮の満ち引きは、月や太陽が地球に及ぼす引力によって起こる現象。地球との距離が近い月の引力の影響は大きく、地球が自転することで、海は月の引力がもっとも大きくなる時に満潮になる。同時にその裏側の地球でも大きな遠心力がかかって、満潮に。つまり、一日に二回満潮になり、その間に二度干潮を迎えるのだ。
一方、月と太陽が直線上に重なる、新月と満月の頃には、起潮力が合わさって大潮になり、月と太陽が直角になる上弦の月と下弦の月の頃は起潮力が打ち消し合って小潮になる。
魚は満ち潮に乗って陸に近づくので、大潮の時、大魚になることが多い。春の大潮の時は干満の差が大きく、サンゴは満潮時にいっせいに産卵し、卵は引潮に乗って遠くまで運ばれる。またウミガメは夏の大潮の時に砂浜に産卵する。大潮の波際よりはなれ、水をかぶらない浜に穴を掘り産卵する。ほぼ二か月後の大潮の時に孵化する。亀の子は海までの短い距離を全力で歩き、カラスなどの天敵から逃れる。
地球も表面積の七割が水だというが、人の身体も七割は水。月の引力の影響を受け、大潮のときには体内の水分が増え、ダイエットがしにくいのだとか。また、波の音を聞いていると気分穏やかになるというのは、波のリズムは胎児が子宮の中で聴く母親の呼吸のリズムと同調だからとも。海の中に「母」ありで心を慰める。
古代中国では、相反する性質をもつものが万物を作り、支配すると考えられていた。この陰陽思想は、月・日、夜・昼、女・男、偶数・奇数など、互いに対立しながらも循環、転化、依存しあって万物を形成するというものである。数字では奇数が良く、その重なりはさらに良いとされた。よって、一月一日(正月)をはじめとし、季節の節目の節句には一月七日(人日・七草)、三月三日(上巳・桃)、五月五日(端午・菖蒲)、七月七日(七夕・笹竹)、そして九月九日は菊の節句であるが、
最高の陽の日が重なるという意味で「重陽」の節句とも。
さらに、一月十五日の「小正月」、七月十五日の「お盆」などが大切な日とされた。これらの日は、今もなお、特別な日であり続けている。
太陰太陽暦(旧暦)は一か月を月の満ち欠けで表す暦。一日目はまったく月の見えない日の「夜」で朔月、あるいは新月と呼ばれた。一巡するには約二九・五日で、小の月二十九日と大の月三十日とし、月が十二回満ち欠けする十二周期を一か年とした。
一か月約二九・五日、十二か月では約三五四日。一年では太陽暦約三六五日よりも約十一日も短くなり、三年で一か月以上も日時の差がつく。その遅れは、閏月を挿入して一か年を十三か月にして誤差を修正し、最後には十九年に七回の閏月を組み込むことで、太陽暦の十九年にほぼ一致する旧暦を作り上げたのである。